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世界大戦で自由を叫んだ詩人たちと、欲望経済に距離を置く大鳥音楽祭。

大鳥音楽祭vol.3開催直前インタビュー前編~大鳥在住の彫刻家 嶋尾和夫さん~

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ども、大鳥音楽祭実行委員の田口(@tagu_h1114_18)です。

以前も告知した、大鳥音楽祭vol.3の開催がいよいよ今週末となりました。

開催に先立って、大鳥音楽祭実行委員長であり、彫刻家の嶋尾和夫さんから開催に向けての想いなどをインタビューをしました。

20世紀を代表する詩人の話から世界大戦の話、そして大鳥音楽祭。

一見、全く関係なさそうに思える話が、自由というキーワードで繋がっていきます。

文章量が多くなってしまっているので、前編・後編に分けましたが、じっくり読んでもらいたい内容。

話がいきなり途中からなのですが、その辺はご愛嬌で。

では、インタビュー前編をどうぞ。

(話し手:嶋尾和夫 ー聞き手:田口比呂貴

割り切れる世界と割り切れない世界

―音楽も、ライブよりもデジタルのほうが音にブレがないはずなのに、生音のほうが良いと思うのはなんでだろ…って思うことがあって。目的にもよるんでしょうけど、生ものを捉えるのに全て正確性が求められるというわけではないような…。

ある詩人がこういうことを言ってたわけよ。「これからはさ、科学とか文明とか、割り切れるもの、割り切れるもので作っていく。機械とか。でも実際は数学にしても円周率とか永遠に割り切れないものが出てくるわけよ。機械とはそういう割り切っていこう。割り切って世界を作っていこうということで。芸術っていうのは割り切れないものを作っていこうという、そこの対決になるだろう」って予言した人がいて。予言っていうか、現在そうなっているよね。だから割り切れない砦として芸術っていうのが一方にないと、人間の存在そのものが、おかしくなるっていうか。そっちも知っておかないと。んで、それはかえって人間には心地よさを伝えられるかもしれない。

―数字は端的でわかりやすいですよね。ただ、受け手として心がある以上、カチッとしたもので固められ過ぎると息苦しさというか。そういったものがあるような…。

まぁ囲碁も将棋も完全に負けてっからね。あれ、どうするんだろうね。笑 位を譲んなきゃダメだよね、負けたんだから。笑

―競馬とかは芸術寄りというか。生き物を扱って、生き物の声をきいて、体調をみて…。

あと、スペインの闘牛よ。どっちかが死ななきゃいけない。八百長は効かないからね。牛に「頼むよ」って言ったってね。笑 そういう意味ではローマぐらいだよね。昔からそういうことをやっているのは。劇場でさ、ライオンとか。あの名残だとおもうよ、多分。スペインもローマに支配されたからね。それが今でも残っていて、見世物にしてるなんて。

民族の奥底にあるものは何だ…?

―ヨーロッパの人が昔から大事にしてる慣習や建物は今も僕らからも見えるけど、彼等自身が感じている、中々言葉にできない、けどこのモノをなくしちゃいれない…というものはあると思うんですよね。

だから、今度スペイン行くときは、闘牛見なきゃいけないと思ったわけよ。

―遅いねぇ。笑

行きついたわけよ。今まで避けてたのね。だって、血、見たくないからさ。笑 だけど、スペインの奥深くまでいこうとしたら、闘牛にたどり着いたわけよ。これを見て、スペイン人がスペイン人である心の拠り所というか。あそこに『生と死のドラマ』をやりあうっていうところがあるんじゃないかなーって。

― 人と牛だから重ね合わせられる部分もあるかもしれないですね。見てもわからないかもしれないですけどね。

そうだね。見てもわからないかもしれない。だけど見なきゃ増々わからないんじゃないかなって。

また、ロルカの詩が凄いんだもん。フェデリコ・ガルシア・ロルカって、スペインの、20世紀の最高の詩人の一人なんだけど。ロルカの親友で、物凄くカッコいい、その時代に一世風靡した闘牛士がいたわけよ。んで、全盛期を過ぎてほとんど引退みたいな形になったけど、ある興行師に言われてさ。「ちょっと手におえない牛がいるからやらねぇか」って。嫌だっていうと、自分が逃げたって思われるからね。今までトップを張ってきた闘牛士としてそれが腹が立つわけ。だけど、友人たちは「もうお前は全盛期じゃないんだから。」って止めたの。でも、「俺は逃げられない」ってやって。んで、やっぱりやられて死んでしまうんだけど、それを歌った詩があるのね。それが最高傑作なの。

始まりはさ、『午後の五時だった。』っていうわけよ。午後五時にスペインの円形劇場が真っ二つに、光と影に分かれるわけよ。んで、丁度暗くなった、西日が傾いた時に円形劇場が真っ二つに割れた時に始まる。午後の五時だった。もう言葉を越えたモノで『わぁー』ってね。んで、闘牛士、彼は血だらけで死んじゃったって。叫びにならないような叫びで。午後の五時っていうのがバンバン出てくるのね。午後の五時。キッカリ。全ての影も五時だったって。終わるわけよ。そういう、傑作としか思えないような詩がロルカにあるの。

20世紀の戦争と詩人の末路

 

彼はスペイン戦争でファシストのフランク軍に最初に殺されるわけよ。ファシストはロルカのこと嫌っていたわけ。軟弱もので。なんていうか。人民戦線って、政府は共産党とかアナーキストとか自由主義者とかいろんな人が集まった組織。選挙で勝利したのは歴史上初めてだね。人民戦線っていうのは労働者の政府を選挙で作ろうっていうので、スペインで初めて生まれて。時代が1936年。ナチスもいるしね。日本は軍国主義が進んでいるしね。ファシズムと反ファシズムの時代に選挙で勝ったんだけど、軍隊持っているのが反乱をおこして人民戦線を潰しにかかったわけよ。で、ヒトラーが応援するの。「やれやれ―!そんなの潰してしまえ」って。その年にロルカはマドリッドにいたんだけど、「ちょっとグラナダに帰らなきゃ」って帰るわけ。その時もみんなに「そんなところは危険だから行くな!」って言われたんだけど行って。案の定、「あ、ロルカだ!」って捕まって虐殺されたのよ。だからどこでやられたかまだ見つかってないの。遺体がね。そういう歴史があるのね。

―ロルカは生きている当時から、ファシストの人も含めて評価を得ていた?

そうだね。ロルカは、民衆の詩を歌っていたわけよ。それでフラメンコとか、そういうものを新しく採収して再興しようよって運動をしていたからね。やっぱり民衆の側って捉えられていて。そういうのが人民戦線とか政府を作ったからね。

結局、その前のロシア革命が大きかったね。初めて労働者が権力を握ったっていうね。それまではロシアはロマノフ王朝で、民衆を抑えて政権とっていたのが、革命で普通の一般人が政治をやろうってものになったからね。議会制とか民主主義はその前にもあったけども、結局王がいたり、資本階級の政権っていうか。制度はあって、選挙もあったけど…。その前にフランス革命もあるよね。あれも共和制になって。王の首ちょん切ったり。激しい戦いだよねぇ。誰が主人公だって…。

―第二次世界大戦の時代の詩人で、他に好きな人いますか?

その頃は20世紀を代表する詩人が出てるよ。だってピカソもいるんだよ。パブロ・ピカソも共産党員なの。その時代、どっちかを選ぶっていう選択。芸術家の前にまず人間だからね。どういう立場になるんだっていうのは大変なもんだったね。当たり前のように共産党員。その時は共産党の世界が当たり前だろって感じで入って。詩人たちもいっぱい入って。フランスは特にそうだしね。ルイ・アラゴンとかポール・エリュアールとか。そうそうたる人たちがね…。

それで、戦後っていうのがまた難しかったんだよね。すぐにソ連とアメリカの対決、社会主義と資本主義の戦いになって、知識人たちはあそこで大混乱して。第二次世界大戦が終わるまでは反ファシズムで、アメリカもソ連も一緒になってまずヒトラーを、っていうことで手を組んで戦ったわけ。でも、「最後の最後に俺たちは勝つ、ファシズムの芽を断てる。」で、ドイツは早々と降伏して、ヒトラーも暗殺されたかなんかで。イタリアではムッソリーニも。ヨーロッパ戦争では勝利しているわけよ。あとは日本だけって。その頃には両国とも次の時代を見てるわけ。それまで手を結んでいたけれど、終わった時に、今度の敵はソ連だっていうことで。こんな社会主義が広まっては俺たちが困るってことで。

戦後はさ、ロシアの思想とか平等、民族独立、植民地解放が浸透していって、民族・植民地がドンドン独立したのね。中国も東南アジアもそう。その流れでベトナム戦争がおきたりするわけよね。だからもう、ソ連とアメリカが世界をどう動かすかって戦いになって。第二次世界大戦も終わる前に、そういうことを考えているわけ。そういう流れでアメリカは日本に原爆を落としたわけよ。ソ連に、「俺はこれを持ってるんだぞ」って。そういうこともあるわけよ。戦後の力関係を示す。原爆を落としたのは多分そういう理由だよね。

―第二次世界大戦後、アメリカとソ連が対立していた時にそれぞれの国で出てきた芸術家や詩人は嶋尾さんの目からみてどう映りますか?

戦後でも、やっぱり自由なことを書くとね…。どっちかというとソ連のほうが資本主義よりも自由だよといいながら、そうじゃなかったよね。反体制を唱える人でソルジエニツィンとかいたけれど、国外追放とか国の中でつかまって。そういうのは一杯いるよね。僕の好きな映画監督、タルコフスキーってのもソ連から亡命したしね。

その中でも優れた人はいる。アメリカの場合はアメリカ人じゃないけどチャップリンがいたからね。あと、ボブ・ディランが出てきたね。1950~60年代。それからフォークとか、歌い手。あとジャズね。音楽の部門はスゴイよね。もちろん作家もいるけども。やっぱり束縛のあるところに抵抗があるからね。じゃあ平和な日本で誰も出てこないじゃんって。そういうこともあるからね。

―でも日本も戦争の渦中にありましたよね。詩ではなかったとしても、歌。与謝野晶子とか短歌とか小説とか。

何年かブームになった小林多喜二とかね。蟹工船。あれが今出てくるなんて、多喜二もきっとビックリしたよね。笑

利己的な自由を唄う日本人

―そう考えると世界規模で、もしくは人類として『自由とは何か』という問いが出てきますよね。今ではブラック企業だとか言って、自由を唄うけども。その反面、責任があるとかはよく語られますが。戦争の渦中にいた人は、人民の命を搾取して国益のために身を投じることに対して、「そんなの人間のやる事じゃない」って思っていた人もいただろうし。時代によって自由の捉え方は違うかもしれないけれど…。

日本人ってさ。自由を語れる民族じゃないと思うよ。血で勝ち取ってないもの。命がけで。ポツダム宣言で「民主化しろ!」って言われたのもあるけど、裏を返せば何百万の人が死んで、負けて、敗戦してやっと与えられたっていうか、出てきた自由だったから。犠牲がなかったらどうだったんだろうって。犠牲で自由が手に入ったって言えばそうだけど、自分の意志じゃないよね。そこは大きな違いがあると思う。それがないからさ、今の日本の自由なんて利己的な自由だもん。「自分が自由なんだ!」って言ってしまえばいいんだもん。ちょっと違うよね、自由とは。でも、自由が嫌だっていう人はいないよね。じゃあ統制にしようとか、自由のない世界にしようとなると、誰も賛成しないと思うよ。

―不自由な世界にしましょうという唄い方は絶対しないですけどね…。

少しずつ、いろいろやり始めてるよね。共謀罪とかね。議会の数の力でバンバン。集団的自衛権も出来てしまったし、今度は憲法も変えようって言ってるからさ。雲行きがねぇ。これはホント、自分たちが決めるしかないからね。上手いことけし掛けられて、「やっぱそうかなぁ」って言えばそうなってしまう。あとでエッ!ってなってもしょうがないよね。

欲望経済と大鳥音楽祭

今の原因を作ったのは、ヨーロッパとアメリカ。植民地と戦後の石油でね。人のモノなのにそこに介入していって戦争…。だからヨーロッパとアメリカは世界に謝んなきゃだめよ。イスラムがやることには賛成はしないけどさ。

―欲望じみたこと。例えば世界中がアメリカになればいいとか。そういうのが人間のどっかにあるのだろうし。人類の歴史でいえば国の大きさや名前なんてゴロゴロ変わってきたし。地球規模で自然も変わっている。自然に対しては常に受け身でしかいられないけど、人間に対しては攻めることもできる。だから領域を拡大したり、人を搾取したりできるのでしょうけど、あなたの国はあなたの国で、私の国は私の国で、OKとは、中々ならない。それを埋めようとするのが戦争だったりテロだったり、という手段の気がして。オリンピックが平和の象徴かもしれないけれど…。

あれも色々問題抱えているよね。結局放映権とか。競技時間が決められてしまうしね。これだけ金だしてるんだよ。ちょっと言う事聞いてよってね。

―経済というのが入ってくると私利私欲が入ってくるわけですよね。

その点では、そういうモノに自由でやってんのが大鳥音楽祭なの。笑 規模は小さいけどね。だから大きくしたくないよ。大きくなると、別物になるよ。

―大きくはなれないとも思えますしね。笑 やっぱり目の届く範囲、目の配れる範囲ってのは大事ですよね。

ただでもね。大鳥音楽祭の心意気ってのは、ここから次なるボブディランが…。次なる○○が…生まれてほしいと思うわけよ。○○を生み出そうって。

―芸術家ってことでですか?

世界的な音楽の…、ってこと。今も世界的な人が来てるけども。どうせやってるんだからそれくらいのものはいつも持ってないとね。次なるボブディランはここからしか生まれないだろう!って言うくらいの。