では、後編をどうぞ。
大鳥音楽祭ができるまで
―第一回目のJAZZが始まったときはどんな経緯でしたか?
最初は磯見博さんのお姉さんと知り合って。話しているうちに弟がドラムやってるってことで。
大鳥JAZZがスタートしたのが2008年だからね。7年前か。その前にもう知り合ってる訳だから。そうだね。お姉さんとはもう十年近いかもね。
それで、銀座通りのChic(シック)に来るって聞いて、行ったんだよね。その時初めて会ったのかな、磯見さんと。声はかけておいたよね、お姉さんの知り合いでって。そこから交流が始まって。
あと何回かライブ聴いたよね。そしたら「日本人もJAZZ上手くなったよなぁ…」って感じたよね。
それにね、磯見さんの前の世代の日本人のJAZZのレコード持っているけど、聴いたら日本人だってわかるわけよ。口で説明できないけどね。なんか日本人が弾いてるって…。マネしてんのか…。なんでかなぁ…って思ってね。
歌も、やっぱりまだ英語になってないっていうかね。言葉が。これは英語喋れて歌ってるんじゃないなって感じ。だって向こう(海外)の人の聞けばさ、日本人の発音が…。下手じゃないんだけど、なんかもう一つ…。
ところが磯見さんたちの音楽は、やっと僕らの世代になって自分の音楽になってきたのかなって。
それで磯見さん、大鳥も気に入って。「泊りに行っていい?」とか「ジャズの連中ってさ、釣り好きなんだよね。」とか言ってさ。そしたら、せっかく演奏家が大鳥に来ているのに、もったいないなぁって思って。それが最初だよね。
んで、いろいろ揃って、『自然の家』の体育館にピアノあったなぁって。そしたら調律師も出てくるしね。それも大鳥出身の、誉谷から嫁に行った人の息子でしょ。
これはもうやるしかないんじゃないかなって。
ー天の導きかどうかはわからないけれども、揃うべくしてパズルが揃ったという感じですね。
あとね、映画祭もやったことあるんだよ。大滝清子さんの息子がね、大鳥ジャズの二回目に来てくれて、「録音は僕やるよ」って言ってくれて。木が日本にどうやってきてるのかっていうドキュメンタリー映画。『木が来た道』っていう。それはフェアトレードの趣旨で撮られた映画でね。大鳥にも合うからね。これは落合にある施設でやったんだけどね。あそこだとフィルムも映せるしね。
手書きのチラシを見せてくれた嶋尾さん
ー大鳥ジャズをやっていく中で、嶋尾さん自身に変化ってありましたか?
やっぱりこの地域が消滅する。まぁ、それは昔からわかっていたけどね。段々と…大鳥どうなるんだろうって。でもそれが、みんなの意識の中で、「何とかしなきゃ」っていう…。今はもうみんながみんなそう思ってるわけじゃないかもしれないけれど。ここで生きていければいいっていう感じで生きているのかもしれないけれど。
本当に何とかしようって思ったのは、地域づくりのそれに関わってきた人たちだろうと思うけどね。
ー嶋尾さんが大鳥にきた20年前から10年もたてば、地域の人もその分歳をとって。前は元気だったおじいちゃんもあんまり歩けなくなった…みたいな現実を目の前にする中で、開催する意義というのも変わってきたんですかね?
変わってきたよね。なんかそういう、地域の活性とか、地域づくりじゃないけど、そういうのと絡めたいなぁ…って。そうでもしなきゃ。
あと、今回みたいにスタッフが出てきてくれたっていうのは大きいよね。
ー実行委員会ってどんな感じで発足したんですか?
博士(伊藤卓郎さん)が手伝いますよって言ってくれたの。あの時から村田君も来てたし、高橋君もいたしね。誰が最初のメンバーかというと、蛸井さんでしょ。それから本間君ってさ、温海の方の人。絵が描きたいって言って僕の所にきたの。
なんせ、鶴岡市から補助金をもらうときに「会を作ってください」って言われて。団体を作んなきゃいけなかったんだよね。んで、『大鳥ジャズを聴く会』なら…って会員5人くらいで。
音楽祭スタッフの村田さん
ー途中で辞めようと思ったことはなかったですか?
あぁ。あったね。なんかもう、マンネリ化して。笑
5回目の時かな。人も全然これ以上伸びないし。なんかね、大鳥でJAZZをやるのが限界かなって思ったわけよ。
やっぱ事業だからね。運営ね。毎回赤字続きでは持たないんだなぁって。(鶴岡市の)生き生き事業(補助金)をとったのもそれなんだよね。それに、知らせることになるじゃない。役所の人に。大鳥でこんなことやってるんだって。少し宣伝もかねて、挑戦してみようかなって思ったの。
ー2014年はお金の面は補助金でクリアしたけれど、2015年は補助金を外しましたよね?
それは、一緒に手伝ってくれる人が出てきたからよ。博士とか村田くんとか、太一君とか。それと、やっぱり独立しなきゃと思った。
ー実行委員会ができた時に、「ちょっといけるかも…」っていう感じはありました?
打合せで「50人で収支トントンだよ」って僕が言ったのに対して、「なんでトントンにする必要があるの?」って。じゃあ「70人」って言ったら、今度はイナプラちゃんが来て、「100人!」って。笑
「ほんとぉ~?笑 じゃぁ、それで行きましょう。」って。
蓋を開けてみたら、30数人。
今まででは、最低から二番目。
2015年の大鳥音楽祭 打ち上げの様子
ーまさかでしたね。あと5年・10年たったら、「あの時はこうだったね~!」とか言えるんでしょうけど…。
あれだけの組織ができたのに、なんで来ないんだろうってね。
だってその前のさ、林栄一さん。あの時だって44人だからね。2年前だね。
最低の時はね、20数人だったかな。いや~、もう、ミュージシャンに金払えないわけよ。だから、友達に「金ない?」って。みんなに借りまくってね。あと、誠くんいるじゃない。誠くんに「まだ彫刻代もらってなかったよね?1万5千円。」ってかき集めてきて。それで何とか…。
ー続けてきて良かったと思うことはありますか?
今は一人でやってるって感じじゃないからね。それはよかったなって思うよ。大鳥音楽祭のために動いてくれる人が何人か確実にいるから。
だから思うのは、この前の打ち合わせでは僕になんか、独裁の力が出てきているような…。結局最後は僕が決めなきゃいけないみたいになっちゃってさ。なんか、やだなぁって思うわけよ。ほんとはもっと、みんなと接点を掴まなきゃいけないのに、独裁者になっちゃってた。
あとね、2015年は昼からやってて時間が長すぎたかなっていうのがあったんだよね。二日くらいに分けた方がいいかもって長さだったもんね。
終わりに…
大鳥音楽祭の前身、大鳥ジャズを聴く会(2013年)の打ち上げの様子
僕が大鳥音楽祭を「いいな~」って思えるのは、普段なかなか大鳥に来ないような人たちが足を運んでくれるから。
自然体験でもなく、山登りでもなく、釣りでもなく、音楽と芸術。
もちろん、会場の周りには山があって、川があって、森がつつんでいて、大鳥ならではの食を楽しめる空間なんだけど、今までの大鳥にはなかった方向へむかっているイベントなんです。
それに本当にすごい演者の人たちが来てくれる。
僕はジャズや芸術のことはよくわからないけど、聴いていて鳥肌が立ちます。
話をきいていると、超一流なんだなぁ~って素直に思います。
そして、少しずつスタッフが増え、今までできなかったことができるようになっていっている。
大鳥のために動いてくれる人がいる。
こんなに有り難いことはありません。
この音楽祭が大鳥の未来を変える"何か"になることを、僕は割と真剣に信じています…。
今年もやりますよ、音楽祭。
今年は6月18日(土)です。今から予定を空けておいてください。
大鳥音楽祭に参加される方はFacebookイベントページから参加をポチりと押してもらえると嬉しいです。
では、当日お会いできるのを楽しみにしています。。